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2008年06月02日

休憩 書けない理由

羽衣のほかに、もう一つオリジナルブログがあり、そちらで順調に書いていましたが、書けなくなってしまいました。

羽衣からオリジナルブログにはプロフィールからリンクしていますが、実はオリジナルブログから羽衣にはリンクをかけていません。

自信がないからです。

続ける自信がまだないからです。

今回書けなくなったのには理由があります。

今日6月2日は。

昨年Eが亡くなった知らせを受けた日だからです。

E、もう私満足だからそちらに連れて行って!

と、枕をぬらすことは、

どれほど主人に対する裏切りでしょう。

主人のことを大切だと思っています。

でも、こんな風にEのことを思っている自分は・・・。

Eは私のともすれば奔放な生き方にいつも眉をひそめていました。

俺には出来へん。すごいと思う。でも、もうええんちゃうん。落着けよ。

そんなEに私はいつも歯がゆくて、ほんとは手に手をとって、一緒に外の世界に飛び出して欲しくて、

どうぞ。ご自由に。平凡に生きてください!

とひどい言葉を浴びせたものです。

そのたびにEは、苦い顔をして煙草を黙って吸っていました。

おまえにはついていかれへん。

と。

そしてその言葉に今度は寂しくて傷ついて。

かといって、自分の生き方を変えることは出来なくて。

つきあってみるか。

その言葉に最後までうんとうなづくことが出来なかった。

昨日は飲みすぎた。誰のせいやと思ってんねん。

その言葉を聞こえないふりをした。

そして、Eが居なくなった今も、

辛く悲しいことがあったら、

E

と、

Eの名前を呼んでいる。

そしてもういない。

会えないのだと。

平凡、安定の代名詞みたいなEが、誰よりもドラスティックな形で亡くなってしまうなんて、皮肉すぎる。

誰よりも、みなの心に、Eのことは刻まれている。
ニックネーム nadeshiko at 20:22| Comment(6) | 羽衣−あたたかき心−161−170

2008年05月02日

羽衣162 拝啓 僕も益々元気です

(*羽衣160あたりから、順番がおかしくなっています。)

拝啓

僕も益々元気です。
上陸以来八ヶ月、思いほか長く満州住まいをしたけれども中々に得るところも失うところも多かった。

僕らの隊も突然に命令が下がって、大連付近に移駐一先づ引上ることになって、明十五日住み慣れた阿城の地を引払って一路南下する。

ちょうど内地へ半分ほど近くなるわけだが、軍隊のことはそのとき、そのときになってみないと将来のことは判らないので、移駐後どうなるかははっきりしないが、少なくも二週間は滞留するのではあるまいかと思う。

その後はまた命令次第だが或いは再会の期程近いのではないかとも考える。
向ふへ着けばはっきりと判るだろうからその時に詳報する。
向ふでは名所・旧蹟でも見物して歩くつもりだ。その時は馬がまた役に立つというものだ。

馬といえば先日僕の馬を、僕の留守中に准尉がこっそり乗り出して場内へ出かけたのはいいが、忽ち落馬して重傷を負い、目下入院中だ。
それでこの忙しい最中に幹部の手が足らぬので、我々も面食らっている。

どうもなんだかんだで気が落着かないので今日はこれで止める。

東京へは行くなら行ってもいい。すぐ帰れるように簡単にしていくように。

義郎生

寿子殿
ニックネーム nadeshiko at 14:12| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心−161−170

2008年04月29日

大連 三越について

羽衣160で、大連の三越がでてきましたが、
当時どんなようすだったかを調べてみると、

うっちぃさんの「アカシアの街にて」跡地に辿り着きました。

こちらのページに昭和10年代の大連の様子の絵葉書だそうです。
http://blog.livedoor.jp/jinmailang/archives/51352421.html?1209452997

ほかに小盗人市場に関係したサイトはこちら↓
やはり当時のお写真が掲載されています。

また、こちらでは、放射状になった大連の町並みを写真と絵葉書で見ることができます。

http://www.geocities.jp/ramopcommand/_geo_contents_/070921/man01.html

http://www013.upp.so-net.ne.jp/takaharu/hp01/omoide4.html
ニックネーム nadeshiko at 16:16| Comment(2) | 羽衣−あたたかき心−161−170

羽衣161 ふらふら義郎

(*羽衣160のほうが内容的に先に出したと思われます)

昨日朝、周水子に着いて、現在の兵舎へ入った。

周水子は遼東半島の末端、ちょうど満鉄本線から旅順方面への分岐点にあって大連を去ること八粁(キロメートル)、汽車、乗合自動車も何時も往復しているし、この付近の道路は坦坦とした舗装道路で両側にアカシヤの並木が連なり一面緑の沃土、北満の山奥で氷の溶けたばかりの荒土の所から出てきて、僅か一昼夜の間の変化に大分神経衰弱が軽快になって来たような気がする。

大連の中心までバスで十分。昨夜は到着して兵隊たちの始末をつけてから早速大連へ出動して日本式の都会情調を味わってきた。

去年の十月中旬始めてこの土地に上陸したのだが、それ以来八ヶ月、更に発展の様子が見える。大陸進出の玄関口としての値をこの事変にも関わらず確保しているのは中々心強い。

町は露西亜式の放射線路で歩いているいるうちに方角の分からなくなるのには困るが、日本人が多いので余り心配はない。

夜店の屋台でまぐろと赤貝の握鮨司を食べたが一年ぶりの味は飲み込んでしまうのが惜しいくらいだった。冷凍魚のほかは食べられなかったのだからね。

満州の町の中で奉天にしろ新京にしろ、ハルピンにしろ牡丹江にしろ、日本婦人というのは頗るみっともない存在であり、その連中の行動・動作というものは寧ろ滑稽でさえあったものだが、大連に来て俄然日本人の美人の多いのに驚いた。うっかりしていると小生でさえ、誘惑されてしまいそうだ。
どうだ心配だろう。

ここに暫く滞在するとすればいずれ旅順も南山も戦跡を見に行くことになると思うが楽しみにしている。

先日出した小包は既に届いていると思うが何しろ小生の方が移動してしまったので便りも自然片便りとなるだろうと思うと楽しみが一つ減ったわけだ。
しかしいよいよ先の見通しもついたし、来月中には上京も出来ることと確信している。
未だ公式の命令は我々のところまでは達せられないが、来月上旬頃万端整理しての上船に依る輸送が始まるらしい。
遅くとも来月の今頃は祝杯を挙げていることだろう。

寿子はこの手紙の着く頃は、あるいは上京しているだろうと思うが、この手紙が届いたら東京の様子を詳しく知らせてもらいたい。

当方の宛名は、
『関東州周水子浜田部隊志方隊』でよろしい。

後になれば日取り、その他も詳し分かることだろうと思うから、手紙でも書くし、いよいよ確実に分かれば、いざという時には電報も打とう。

そちらからは送金してもらわなくても今のところよろしい。
ただ、東京に行ってるならいつでも帰れるようにしておくこと。
ただし来月初旬にはその心配もいらないけれど。

犬の礼拝(リーパイ)は周水子まではつれてきているし、しかしこれから先は果たして連れて行けるかどうかわからないが、出来たら無論何処までも連れて行くつもり。
近頃は何処へ行くにも傍を離れないので、職務上困ることもある。

寿子殿

義郎生

五月十八日
ニックネーム nadeshiko at 15:58| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心−161−170

羽衣160 義郎、三越ショップ・ガールにめろめろ

一昨日は大連の星ヶ浦、今日は大連市中を中隊を引率して外出した。

星ヶ浦というのは、有名な大連の避暑で、海有り山有り立派な公園有り、競馬場有りグラウンドあり、芝生の綺麗な好いところだ。丁度この日は大連の三越の休日で、グラウンドで三越内の野球の大会が開かれていたので、早速試合を申し込んで先方の快諾を得、中隊からチームを速成して試合したが、三対零で快勝した。

何しろ味方のチームには、門鉄・八幡製鉄の正選手もおり、熊工の投手もあるので楽なものだった。

それに当日は三越のショップ・ガール達が全部各部の応援に来ていたのだが、之が全部我々に応援するものだから三越の男性連は大いに残念がっていた。愉快愉快。

今日は汽車で大連駅に行き、浪花町から常盤橋など目抜きの所を解散したり引率したりして大連神社・忠霊塔から有名な泥棒市場に行って帰って来た。

常盤橋の三越で一時間解散したところ、先日の野球の連中に大分歓迎された。

大連神社へ行った時は丁度その付近が我々が始めて上陸した時宿営した町なので、皆当時の宿舎に遊びに行ったところが夫々大歓迎を受けて頗る恐縮した。

丁度中隊の半数百四十人ばかり連れて行ったのだが中々骨が折れた。世話を焼かせたものは今晩全部不寝番を申し付けた。

小盗児市場では何も面白い掘り出し物もなかったが、兵隊たちは夫々何かしょうもない様なものを土産に買い込んでいた。

内地は今は雨が相当多いようだが、大連も時々雨が降る。
もう雨季に入っているかも知れぬが、それでも空気が乾燥しているので内地の梅雨と違って気持ちよく砂塵を鎮めている。

今佳木斯の三平兄から帰省の途中会いたいという電報が来た。
未だ先方には僕が周水にいるということを知らせてないので、どこから聞いたのか不思議だが、周水宛になっているところを見ると、明日あたり来るらしい。

汽車の時間など不明なため、連絡をとることも出来ないが、明日あたり駅に行って見ようかと思っている。
僕らのこれからの行動も未だ命令は出ない。けれども皆もう日取りなども来月初旬と決めてしまって落ち着き払っている。

僕もそんなところが事実ではあるまいかと想像している。
乞う、期待せられよ。

義郎生

寿子殿
ニックネーム nadeshiko at 15:31| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心−151−160

2008年04月26日

羽衣159 六十一信

昨日お手紙頂きました。

こちらも昨日今日の暑いこといったら七月のようでございます。
そろそろ簡単服がいります。
今朝は一寸曇っていて雨になりそうでしたが、とうとう重苦しい蒸し暑い天気のまま日が暮れそうでございます。
風が相当荒れています。

三越の連中との野球に大勝なさいました由、ショップガールの応援もこんなに離れていては切実に角を生やすほどのことにも感じません。
しかしあまり誰彼にもてないようにしてくださいませ。
少しは気になりますから。

いよいよその日も近づいたようでございますね。
ところで、途端に日が永くなって困ります。一晩寝ては日を数えても一度に一日づつしか暮れませんもの。

三平兄さんにはお会いになれましたか?お元気でございましたか。

典子ももう完全にお座りして遊ぶことが出来るようになりました。
赤い座布団の上にチョコンと座って、玩具を舐めたり紙を破ったり、コップ(ニュームの)を持たせますと大喜びで縦から横から底からしゃぶっています。お湯も何も入ってないのにチューチュー音を立てておいしそうに吸ったり致します。

それから座ったまま腰から二つに身体を曲げて足の親指を代わる代わる口の中に押し込んでなめています。

私共にはとても出来ない芸当でございます。

今日も出来損ないの写真を同封いたします。どうも現像薬を倹約して、M−αの一瓶を五度にも分けて使うのが悪いのでしょう。

先刻三枚座って遊んでるところを写しましたから今夜薬をたっぷりして現像してみましょう。

最初あんなんいよく出来ましたのに、この頃は一枚も満足に出来ません。
御覧になりましてから、海にでも流してくださいませ。
しかし抱っこされていますのはとてもかわいい顔していますわね。
二枚とも一月半位前に写していたのでございます。

たしかに薬が少なすぎるのでございます。

五月二十八日

寿子

義郎様
ニックネーム nadeshiko at 15:17| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心−151−160

羽衣158 六十信

今日も一日待ちぼうけでした。何かとお忙しくいらっしゃいますでしょう。

この二三日、日が暮れるのの長いことと、朝も割りに早く覚めますので
、九時に郵便やさんが、来るまでとても待ち遠しく感じます。

典子といくら遊んでも時計の針はながなが進まず、でも四時半頃お風呂が沸いて、典子と二人では入り、晩御飯を頂いてると、あとはすぐ九時十時になります。しかし夜も長く眠くなりません。

現に今ももう十一時打ちました。
何時でしょう。

今月ももう六日あります。この間中のように早く日々が経っていくんですけど、かといって仕事もそう手につきません。

今日は久しぶりで典子を抱いて、藤瀬様に向かいました。
赤ん坊同志遊ばせると、それはそれは面白うございます。
お互いに奇声を挙げながら大手を拡げて相手の目と鼻とを目がけてキーッ、イェンイェン、キャーッと言い合う様は見物でございます。もう二人ともお座りも這って後退りするのも出来ます。

東圧の社宅はみんな出来上がりました。
小田原さんの前の道をまっすぐ西に行って、鉄道の橋の手前に右手の二軒が手前から藤瀬さん、大塚さん、大塚さんの北隣が杉浦さん、左手の三軒が手前から吉元さん、中島信一さん、一つ家さん、宇田さんの前が大慈悲さん、玉置さんの前の二軒は存じません。
玉置さんへも大塚様へも一度伺わねばなりません。

お帰りお日時が分かりました時は工場の方へは通知しますでしょうか。それとも一応帰宅の上で挨拶にお出かけになりますか。
典子もやっと湿疹も治りかけました。
ここ一週間ほど毎晩お風呂の中に六一〇(ムトウ)ハップという硫黄剤を入れて○願寺に行ったつもりで入浴しています。陶土を入れても利くように雑誌に出ていましたが、どうですかしら。

典子に夏の帽子も買わねばなりませんが大牟田では頭に合うのが見つかりません。
無帽でお出迎えしていいでしょうか。

リーパイは一緒に来れるでしょうか。本当に見たいと思います。あなたとご一緒に何ヶ月か北満で暮らしたと思えば。
岡本少尉はまだ元のところですか?一緒にお帰りになりますか?
東京のお母様からも私たちの上京をお待ちになっています由、お手紙頂きました。

三平兄上も農大の先生のお世話で志村とかいう軍需工業会社だとかいうことです。
お母様も早く安楽にそれこそ孫のお守、専らに過ごさせて差し上げとうございますね。

前月も今度のにもすべてが良くなって幸福で胸がいっぱいだと喜んでいらっしゃいます。早く世間並みのお祖母様として気楽に過ごして頂きたいものでございます。

五月二十五日

寿子

義郎生
ニックネーム nadeshiko at 15:05| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心− 1−10

羽衣157 今日五月二十二日付けの手紙見た。

今日五月二十二日付けの手紙見た。

阿城に居た時と手紙の来る日数はあまり変わらない。少しは早くなったような気もする。

阿城宛に寿子の出した手紙は全部回送されて来た。五月になってからは銃後の後援もまた盛んになって来たようだ。

今日は朝から荒れ模様で今も盛んに雨風が吹きしきっている。けれども朝赤痢の予防注射をやったので、一日休みにして寝ていたが、相当待届した。

昨日は大連の小盗児市場で麻雀を素見していたら、つい買ってしまったので之の店開きをやったが、見事に素人に名をなさしめた。帰ったら教えてやろう。

瀧川が出征したそうだが、あれなんかもっと早く行く筈だったのだから、本望だろう。けれども今度行くと一寸長引くかも知れないがね。

一昨日と一昨昨日とは一泊行軍で中隊全員金州城、南山へ行軍した。
金州は古い城で満州に珍しく水が綺麗で且つ金持ちの多いところとて別嬪の多いのにはびっくりした。日本の女学生と違って十五、六から上は皆それぞれ化粧して着飾っているせいもあるだろう。

南山と言う山も思ってたより低い丘に過ぎなかったが、なにしろ一日で四千四百名の死傷者を出したというのだから昔の戦争も中々無茶をやったものらしい。

道がいいので馬で行ったが楽なものだった。
二十九日ごろから現地戦術でまた、金州方面から旅順方面に三泊位で書ける。まあ戦跡見物だろうと思っている。

岡本くんたちも二三日中に周水子に到着する。

ここで集結が済んだら次の行動に移るわけだが、まだ具体的には分かっていない。

しかし一般の話では来月十日ごろには再会を期することが出来そうだ。

あんまり長く居ると大連に遊びに行くし、つい色々買い込んだりするので金が足りなくなりはしないかと皆弱っている。

僕はまだ五六十円あるから税関の方も心配ないような話だから大丈夫だが、もう一文なしになってる人もある。

西島の奴は、先日五回も馬から落ちて、とうとう腕を怪我して弱っている。
あいつはけちで実際嫌な奴で、皆いい気味だといっている。

僕はもう大丈夫だ。
けれども、もうこちらでは馬に乗る機会もないだろう。
岡本くんとも長く会わないが、先生と別れるとき我々だけが早く帰ってしまうような話だったので、すっかりしょげていたが、これでさぞ喜んでることだろうと思う。
早く会ってみたいものだ。

三平兄はとうとう来なかった。
大分待ったのだけれど、どうしたものか。
朝鮮経由で帰ったものだろう。
またいつか会えるから今度会えなくてもかまわない。

会社の方の奴は不人情でなんとも言って来ないから様子も分からないけれどもまだほかにも大分出世者が出ていることと思う。

兎に角早く皆とも会ってみたいものだ。

義郎生

寿子殿
ニックネーム nadeshiko at 14:36| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心−151−160

羽衣157 今日五月二十二日付けの手紙見た。

今日五月二十二日付けの手紙見た。

阿城に居た時と手紙の来る日数はあまり変わらない。少しは早くなったような気もする。

阿城宛に寿子の出した手紙は全部回送されて来た。五月になってからは銃後の後援もまた盛んになって来たようだ。

今日は朝から荒れ模様で今も盛んに雨風が吹きしきっている。けれども朝赤痢の予防注射をやったので、一日休みにして寝ていたが、相当待届した。

昨日は大連の小盗児市場で麻雀を素見していたら、つい買ってしまったので之の店開きをやったが、見事に素人に名をなさしめた。帰ったら教えてやろう。

瀧川が出征したそうだが、あれなんかもっと早く行く筈だったのだから、本望だろう。けれども今度行くと一寸長引くかも知れないがね。

一昨日と一昨昨日とは一泊行軍で中隊全員金州城、南山へ行軍した。
金州は古い城で満州に珍しく水が綺麗で且つ金持ちの多いところとて別嬪の多いのにはびっくりした。日本の女学生と違って十五、六から上は皆それぞれ化粧して着飾っているせいもあるだろう。

南山と言う山も思ってたより低い丘に過ぎなかったが、なにしろ一日で四千四百名の死傷者を出したというのだから昔の戦争も中々無茶をやったものらしい。

道がいいので馬で行ったが楽なものだった。
二十九日ごろから現地戦術でまた、金州方面から旅順方面に三泊位で書ける。まあ戦跡見物だろうと思っている。

岡本くんたちも二三日中に周水子に到着する。

ここで集結が済んだら次の行動に移るわけだが、まだ具体的には分かっていない。

しかし一般の話では来月十日ごろには再会を期することが出来そうだ。

あんまり長く居ると大連に遊びに行くし、つい色々買い込んだりするので金が足りなくなりはしないかと皆弱っている。

僕はまだ五六十円あるから税関の方も心配ないような話だから大丈夫だが、もう一文なしになってる人もある。

西島の奴は、先日五回も馬から落ちて、とうとう腕を怪我して弱っている。
あいつはけちで実際嫌な奴で、皆いい気味だといっている。

僕はもう大丈夫だ。
けれども、もうこちらでは馬に乗る機会もないだろう。
岡本くんとも長く会わないが、先生と別れるとき我々だけが早く帰ってしまうような話だったので、すっかりしょげていたが、これでさぞ喜んでることだろうと思う。
早く会ってみたいものだ。

三平兄はとうとう来なかった。
大分待ったのだけれど、どうしたものか。
朝鮮経由で帰ったものだろう。
またいつか会えるから今度会えなくてもかまわない。

会社の方の奴は不人情でなんとも言って来ないから様子も分からないけれどもまだほかにも大分出世者が出ていることと思う。

兎に角早く港も会ってみたいものだ。

義郎生

寿子殿
ニックネーム nadeshiko at 14:36| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心−151−160

2008年04月25日

休憩 寿子が危篤です

つい先日、寿子が脳梗塞と心不全を併発し、意識不明になった連絡がありました。

寿子は痩せて骨皮ばかりになっていました。

「おばあちゃん!中学校でバレーの選手だったでしょう。強いよね。柿をとるのに二階の屋根も登るくらいおてんばだよね!」

と耳元で叫んでみましたが、無反応です。

寿子の年の割にはふさふさ残る髪を撫でていると、寿子の目が涙ぐんだ気がしました。

少し前までは会話も出来たのに。

義郎が逝ってからかなり長い期間一人で暮らしてきたんです。そろそろ義郎が寂しくて我慢できずに呼んでるのかな。

「おじいちゃんと仲良かったかなあ」

と姉が言うので、

「もちろんよ」
とちょっとむきになってしまいました。
長い寿子の人生を振り返っても、きっと手紙のやりとりの辺りの時期が女として母として一番幸せだったのではないでしょうか。

寿子の入れ歯のとれた痩せた顔を見ていると人の人生の重みや貴重さを感じるのです。
ニックネーム nadeshiko at 10:43| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心−151−160