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2009年03月13日

休憩 寿子が亡くなりました

先日、寿子が亡くなりました。
3月8日の早朝のことでした。

寿子は老人養護施設で一人亡くなったようです。
近くに住む伯父夫婦は、毎日のようにお世話しに行っていたようです。

私は今年の2月に一人で寿子の病院を訪ねました。
寿子は夏に意識不明になり、そのまま病院に入院をして半年以上頑張っていましたが、その間口をきくこともなく、黙って逝ってしまいました。

90歳を超えていたのだからかなりの大往生と言えます。

葬儀の日、死に化粧を施された寿子の唇はほんのり桜色で、とてもきれいでした。もともとお肌もきれいで・・・。

義郎に会いに行ったのだなあ・・・。きっと義郎は美しい寿子を喜んで迎えるのだろう・・・。

と、思うと涙がこぼれて止まりませんでした。

子供たちにとっては厳しい母親。孫にとってはやさしいおばあちゃん。ひ孫にとってはかわいいおばあちゃんでした」

と喪主の伯父が挨拶をしておりました。

孫・ひ孫、来れるものは皆集まりましたが、寿子と義郎を起点に派生した血のつながりはこれほどにも広く流れて行ったのかと驚かされました。

葬儀場の入口には寿子と義郎の写真がスライド形式で流れていました。

その一枚に

あ!

と声をあげてしまいました。

若かりし寿子がリスのショールを巻いてこちらを向いて微笑んでいる写真があったのです。

「あ、これはおじいちゃんが満洲から買ってきたものよ!」

と私が叔父に言うと、叔父は寿子の父と勘違いして、

「父は仕事の関係で北朝鮮に行っていましたが、満州ではないですよ」

と周りの関係者に説明をしていました。

私はそれを訂正するのがなんだか面倒でそのまま黙っていました。

子供である叔父でさえ、義郎が満洲にいた時代を知らないのかもしれない。
だって義郎が満洲にいたのは叔父が生まれる前だもの・・・。
詳細に知っているのは、この「羽衣」を読んだ私ぐらいのものなのだ。

子どもたちである四姉妹兄弟たちは、羽衣を読んだこともないのです。
その存在さえ知らないのです。

だからやはり、なんとか形にしたいと思うのです。
このままでは何の形にもなりませんから、思案中です。

とりあえずは最後まで写し終えて、それからのこととしたいと思います。
ニックネーム nadeshiko at 17:10| Comment(5) | 羽衣−あたたかき心−171−180

2008年10月29日

羽衣171 昨日航空便受け取った

昨日航空便受け取った。

寿子は悲壮な覚悟の程を示してあったが、事態は左程切迫しているわけではないから心配しなくてもよろしい。

最初ここに来た時の予想と違って大分駐留期間が長いので或いは再会の期も本月中旬すぎるかも知れない。

夏服は急に暑くなって至急必要になったけれども小包その他では遅くなって行便で持参することになった次第で未だ神経を尖らすまでのことはないと思う。
しかし万一出動ということも状況次第では考えられないと確定するわけにも軍隊では出来ないから、万々一そのようなことがあって間に合えば電報を打つからまさか飛行機で来る必要もないが、周水子まで来る事もよかろう。
僕らの予想よりも短くて十日くらいは未だここに駐屯するらしい。

明日から又旅順方面に二泊三日の戦跡見学の行軍がある。
今度は馬も返納したので歩いて行かねばならず、暑いところを十二里も歩かせられるのかと思うとちょっとたじろいでいる始末だ。

岡本君も元気にやっている。一時○○方面では体を悪くして入院していたそうだけれど今は全く元気を回復している。
東京の姉さんから今日便りがあったが、向こうの赤ん坊も中々可愛らしく写真に撮れていた。

典子もそろそろ一人臥の癖をつけておくべし。

今日は明日が早起きなので之で止める。
実際の軍隊では早起励行で僕らには衛生上反って有害だ。

寿子殿

義朗生
ニックネーム nadeshiko at 15:02| Comment(4) | 羽衣−あたたかき心−171−180

羽衣170 寿子 暑くなった。

寿子

暑くなった。
昨日まではうそ寒い日が続いたが、風雨が上がって今日は素晴らしい上天気。同時に気温もぐんと上がって冬服ではやりきれなくなった。

止むを得ず、夏服を取り出して着替えたが実に軽い。
身も心も飛び立って新緑の中に溶け込みたいような気がする。
実際去年から秋を知らず、春を知らず、冬と夏ばかりの年を過ごしているのだが、青春を一年損したような物だ。

一昨日ここまで書いて又行軍があったので中止していたが今日続行する。

今日二十五日付けの手紙読んだ。手紙の数は銃後の後援に比例する物ゆえ、まづ褒めんとすれば与えなければならないということを銘する必要がある。
もっと手紙をよこせ。

実際近頃は日が長いのでやり切れぬ。早く日が経てばいいとは至極同感だがまだまだ命令が来ないので何とも分らない。

大体全部隊の集結が終わるのはまだ四五日かかるのだし、僕らも明日から三日間現地戦術で金州に旅行する。

寿子は相当気が長いので有名なのだから、さぞ早く僕に会いたかろうとは思うけれどももう少し我慢すべし。

典子も段々快くなる由、早く可愛らしくしておくこと。典子の体質については、但し寿子の体質遺伝だと言うことは軍医の証明するところである。
すなわち典子は文面に依れば虚弱体質である事明だが之は寿子がリンパ腺なんかを腫らしたりすることが有力な原因であるし、かつ母乳の内にカルシューム、沃度鉄、リンなどの無機塩類の○、これに起因すること又大である。
大いに新鮮な野菜を採るべし。ホーレン草を食べてポパイの様に強くなれ。僕も帰ったら一つ南京に行こうかとも考えている。

ハゲが行ってるのは困るが、実はあいつは未だに僕を信頼していること大なるものがあるし、生活も健康が許せばあちらは面白いよ。

社宅の生活はきくだけでもしゃくにさわる。
玉置さんにもしゃくにさわるから手紙を出さないようにした。
僕が帰っても下関にはどうせまた残務整理に四五日いなければならいから会社のほうなんかは後でよろしい。会社の奴等は実に不人情なやつだ。

写真を二三枚いれておく。

義朗生

寿子殿
ニックネーム nadeshiko at 14:51| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心−161−170

羽衣169 電報

アンシンセ ナニモ オクルナ ヨシヲ

昭和13年6月4日
ニックネーム nadeshiko at 14:37| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心−161−170

羽衣168 お元気でいらっしゃいますか。

お元気でいらっしゃいますか。

典子も昨日あたりから這ってもあまり後へはさがらずちょっと目を離していますと前横自在に動きますので障害物のない安全地帯においておかねば一刻も目が離せません。この頃では目が覚めている間はほとんどお座りして玩具で遊んでいます。

あなたも近くお帰りのことと存じまして、さっさと準備をしていますが、先ほどは下重本部から速達で浜田部隊から電報がきたから未送付けの者は六月三日内に本部へ着くよう至急夏服を送るべしとの通牒が参りました。

たしかお発ちになります折に夏服もシャツ、ワイシャツも一通りはお持ちだったと存じますが、他に必要な物はございませんでしょうか。

この手紙が着いてからでは間に合わぬかと存じますが、念のためお尋ねいたします。何か思い付きになりましたら電報なりくださいませ。

若しやこのまままた暫くお目にかかれないのかとも考えられますが。
一度典子を連れて大連に参りましょうか。

それにしても軍船より先に着くためには明日か明後日こちらを発たねばなりませんが飛行機では典子が駄目でしょうし、船だと正午に門司を出帆して明後日の手前九時か午後三時にしか着きません。

典子をお眼にかけとうございますし。またあなただってご覧になりたいでしょうから。

もしこのままお別れするようになりましても、決して卑怯未練なお働きをなさいますあなたではないと固く信じています。

武運強く前線にお立ちになれますなら何卒立派なお働きをなすってくださいませ。
如何なことになりましょうとも典子を確り守りましていつまでもお留守居いたしますから決して御心配くださいますな。

東京へははっきりこうと分りましてからすぐにお知らせ致します。

右 要点のみ取り急ぎ申し上げます

六月一日 夜

寿子

義朗様
ニックネーム nadeshiko at 14:35| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心−161−170

2008年10月27日

羽衣167 今日、第四拾九信着いた。

今日、第四拾九信着いた。

猛烈な演習が済んで今週は休日も多く少しのんびりとして居る。
来週は週番士官になるし、また小演習が重なる。平時部隊の一年分位の行事をこの一月ばかりの間に片付けてしまうことになるが、こんなに沢山の行事を目先になって急に片付けようとするのは何かいうことの前兆ではあるまいかと疲兵どもも元気をもりかえしたかに見える。

しかし実は一月頃からいろいろのデマが乱れ飛んでいるので何が何やらさっぱり分からないが。

典子のお雛様片付けた由、初節句を一緒に向かえてやれなかったのは少し淋しいが之も止むを得まい。
この前手紙を書いた時は柳の芽が出かけたばかりだったが今はくぬぎ、樫などもぼつぼつ芽を吹きかけている。
雨も二日おきくらいに沢山ではないが降る。雨が降ると路が悪くなること凄いもので直ぐ我々が出動して道路修理だがトラックもトラクターも埋まってしまって馬が何頭もかかって自動車を引き出す始末だ。
皆ゴム靴を買おうかなんて言っているが雨季になったら知らぬこと。
雨季まではと思って買わぬことにしている。

昨日は阿什河に釣りに出かけた。
大きな魚がうようよ居ると言う話だったが終日大公望をきめて居たのに一匹もつれなかった。その時の写真を同封して送る。
小包は未だ届かぬがそのうちに届くだろう。

金おくれの電報は当分打てそうもないし、打たなくても済みそうだ。
今日は満軍の兵舎に見学に行ったがでたらめなのには驚いた。
話の通り、十五六から四十五六位までの兵隊が呑気な顔をして、イーアル・三なんて番号をかけている。食事も一日二度しか食わせぬし月給も七円から八円位でこき使っているそうな。
一日分の食費は二十銭程だ。我隊の兵隊の食事は一日一人当たり五十五銭程食わせるからなかなかよろしい方だろう。

気候が良くなったので、そろそろ写真機を活躍させている。
次に作品集をお眼にかける。題して招牌集という。招牌というのは支那の看板の事だ。之を一つ専門に撮って歩こうと思っている。

寿子殿

義朗生

あんまり布団をおしっこ臭くさせぬ様に。そろそろ分離してもいいぞ。

今小包が着いた。之は下関重砲兵連隊から一月十日に出した追送品が国境の方をぐるぐる廻ってやっと着いたわけで以上の目録の中、のし餅類入りの缶は全然腐っていて駄目。甘納豆もビスケットも食用ニナラズ。缶詰と鰹節だけが役に立つ程度だ。何しろ四ヶ月もでたらめに投げやりにしておくなんて流石はお上の仕事だと思う。呆れるばかり。

けれどもその中役に立つ分だけは早速週番の時に役に立てることにしよう。
ニックネーム nadeshiko at 11:44| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心−161−170

羽衣166 昨夕から猛烈な夕立で、暁方にはまたひどい雷鳴でございました。

昨夕から猛烈な夕立で、暁方にはまたひどい雷鳴でございました。先刻から雨も止んだようでございます。
私も昨日から早々と簡単服を着ています。とても暑いのです。

大連付近の見物はお済になりましたか。
秀月台二十三番地かに錦州の水にまつる様の御実家があります。

一昨夜は大塚様が一寸お立ち寄りくださいました。工場もなかなかお忙しそうです。日野様は二三ヶ月したら一度お帰りになり人員を連れてまたお出かけになりますとか。

先日ご出発(東京へ)になりました中森様は実は北海道転勤で佐竹様は目下北海道御旅行中ですが、もう北海道転勤の辞令が出ているそうでございます。
いづれ大塚様からもお手紙が参りましょう。

玉置様は御上京中でございます。
只今西部防衛司令部管内に警戒警報が発せられました(午後十時十五分)。先日は小癪にも宮崎県境に反戦ビラを落として行ったそうでございます。
折りよくラヂオをつけていたからよいものの防護国員も汽笛の合図もありません。この頃は演習の時だって防護員の組織が変わったとかで随分経ってから一人二人メガホンで辻々で呼ばわりますが小児の悪戯かと思う程度です。まことに心細いことでございます。

只今写真を焼き付けましたから同封いたします。心機一転して割合よく撮れましたが少しピンぼけです。何しろ右の眼がまた目もれが出来て片目でやっていますので。
チカチカ痛んで涙がポロポロ流れます。

今日は典子がおしゃぶりをなめていましたらピーっと笛がなりました。それから面白がって何度も鳴らしています。

この写真でくわえているのもおしゃぶりです。一枚のほうは私が口をゆすぐ時の赤いコップです。この前のつづらの中での写真と比べるとまるで大人になりましたでしょう。男の子だと皆で申しています。

今長崎県と山口県に空襲警報が下りました。
父は工場へ駆けつけました。
とても防護員の活躍はなっていません。
まだなんとも言ってきません。ラヂオで言ってから一時間以上になりますのに。

つづいて熊本県鹿児島県あたりにも空襲警報が出ました。
大牟田市では最初から空襲を報じて大通りだけは電車も自動車も止まっているそうですが、ちっとも徹底しません。

さっき外に出ましたらほたるが何度もスーッと飛んでいました。低い草むらに居たのを二匹捕ってきましたら典子が喜んでほたるの後から畳の上をごそごそしています。

今夜はねまきに着替えずに待機のまま休みましょう。

三十一日朝

只今お手紙いただきました。
岡本様も周水子にいらっしゃいます由早速お母様にお知らせして差し上げましょう。大分落馬する人がありますね。

姓名判断で遭難の相があるなんて言われましたので何かにつけ心配です。なにとぞ幾重にも御用心くださいませ。
三平兄上はどうなさったのでしょう。しかしいづれは東京でお会いできましょうから。

空襲警報は今朝三時頃解除になりました。
刀根様から四五日前会社の方へあなたのお所を尋ねていらしたそうです。あちらはお子様は何処にお預けになっているのでしょうか。ほんとにお気の毒に存じます。

あと暫くでしょうが、お身体を大切になさって下さいませ。

五月三十一日

寿子

義朗様
ニックネーム nadeshiko at 11:26| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心−161−170

2008年10月26日

休憩 皆様 お久しぶりです

皆様お久しぶりです。
四ヶ月も放っておいてしまいました。

相変わらず寿子は意識不明のまま病院にいます。
早くこれを写し終えて、寿子に届けてやらねばと思いながら、なかなか筆が進みませんでした。

でも、あと少しで終わりです。

さて、いつもの注釈です。
まず羽衣163から。

義朗が、コロンビアの音丸と楠が慰問に来たと書いています。
最初意味がわからなかったのですが、コロンビアはコロンビアレコードのことでした。そして音丸さんというのはデビューが27歳の主婦、音丸さんという歌手なんだそうです。
詳しくはこちらから
http://www.azabujuban.or.jp/juban/tayori/discover/discover_0804.html

音丸さんの曲聴けます。
http://www.jttk.zaq.ne.jp/babpa300/aa1senzen/simodayakyoku.html

楠さんは誰かわかりませんでした。

羽衣165で天長節と言う言葉出てきます。私にはなじみの無い言葉ですが、いわゆる天皇のお誕生日ですね。

それにしても、羽衣164で、現地の人の仔豚を引っ掻き回した話が出ていて、義朗が「面白かった」なんて言ってますが、私は書きながらむっとしていました。

本人たちは面白半分だったのでしょうが、現地の人にとってはえらい迷惑な話です。といってやりたいですが、義朗はこの世におりません。

それにしても同じく164で、義朗が

日本民族がここに発展すべき宿命を持っているとしたなら。

と言っています。

発展は一時的に過ぎませんでしたね。
そりゃそうです。他国のものなんだから。強引に過ぎます。
宿命ではなかったのですねえ。
ニックネーム nadeshiko at 15:50| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心−161−170

羽衣165 今日は天長節で早朝から式があった。

今日は天長節で早朝から式があった。

防諜上観兵式は取り止めになったので、万歳三唱でで簡単に式を終わった。

兵隊達も今日は早くから外出を許されたので張り切って出て行ったが何しろ今度は靖国神社大祭から例祭天長節、日曜と休みが続いているので兵隊達も一文無しになることだろう。

式が終わってから猛烈な西風が吹いて天地暗黒になる様であった。
天気が良かったら僕も写真でも撮りに出かけようと思っていたのだけれど、中止して小包を作った。
何時か手紙に書いた毛皮だ。二三日中に発送するつもりにしている。
何しろ二三日、軍郵所が休みなので。

皮の代金の受取書を同封しておくから万一の時は役に立てるように。
随分安く書いてあるけれど大抵かまはないだろう。
今までは全部無事についているのだからね。

写真を四枚一緒に送る。
何れも最近の作。
中々面白いものもある。
帰ったら一つ引き伸ばしてやろう。
そうして特別展覧会でも開くとしよう。
(以下 昨夜書いた分)
今日、二十九日は風も無く、朝から素晴らしいお天気だ。
大変暖かい。上着も着ないで平気だ。
兵隊も今日は休みだから外で野球でもして遊んでいる。金も無くなったしそんなことでもしなければすることがなんにもにないからね。

来週は一つ行軍でもしてやろうと思っている。名前は行軍でも実際はピクニックみたいなものだ。

今朝隣から鉄砲を持ち出して部落へ鳩打ちに行って来た。
一羽打って来たが、近頃は鴨とか雁とかが大分来るので、奉天の荒木さんに鉄砲を返さずにおいたらよかったと思っている。

ここまで書いたら丁度小包が届いた。この頃は良く小包の着く頃だ。随分大々的に送ってきたものだと感心している。
無論感謝もしているのだが。
恐らく半分は小生持参して帰国することになるのではあるまいか。

海苔は一つ隊長の分としてあるが、やらないことにする。先達隊長の所に海苔が着いた時、あまりくれなかったから。

外は段々暗くなってきた。今八時半。内地の時間と一緒にしてしまったので大変不便だ。

朝は早くあけるし、ここではあまり寝坊は出来ない。

今日は之で終わり。

義朗生

寿子殿
ニックネーム nadeshiko at 15:45| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心−161−170

羽衣164 昨日朝から行軍に出かけた。

昨日朝から行軍に出かけた。

天候はあまり良くはなかったけれど、それでも雨が降らなかったので五月ともなれば暖かく少し馬を走らせると汗ばむほどであった。

つい十日ほど前に演習をやった山峡に休んだが、僅かの間にもうすっかり氷も融け去り、重い車や軍靴で踏み荒らした畠もすっかり青い小麥(こむぎ)の芽が生え揃っていた。

とぼしいながらもそこここにある樹木は見る見るうちに緑を増して春少い北の鮮やかさとなつかしさに目が痛んだ。

山に這入ると硫石に様々な樹木もあれば、今までかくれていた綺麗な小鳥たちや敏捷なしま栗鼠の天下だ。寒中に飛び廻っていた兎はどこへやら。雉は卵をかえしている。

地はだに凍り付いて枯れていた色々の苔類も
漸く(ようやく)生気を吹き返して小さな綺麗な花をつけている。ありともなしとも見えるこの小さな花に僅かに内地の春を思っていた時に、息せき切って報告に来る兵の話に山をひとつ越えた向こうに櫻の花が咲いているとのこと。馬を走らせて高みに登って見れば、あるあるはるかの山腹に一団また一団くっきりと浮み上った薄紅ひの姿。近づいて良く見れば櫻にして櫻にあらず。良くも似たるものかな。満州の李花なりとのことなるも儘よ。世を挙げて代用品時代。この花の下にて内地の花見を偲んだよ。

山梨の木も白い花をつけて見えたし、匪賊の山塞の跡といわれている廃屋のまわりにしま栗鼠の遊んでいるのも面白かった。

帰りには小海溝という部落で休んだが、今は丁度豚が仔を育てている時期でどの家にも二、三十頭の豆みたいな仔豚が居るが汚い豚も仔豚の時は誠に可愛らしいものだ。またこいつを捕らえようとしても素早くて、中々つかまらぬし、兵隊たちが方々の家の囲いの中から全部追い出してしまったのでこれが固まってとうとう四五百頭の大群になってしまった。全部同じような毛色、顔体、大きさ故、之が混じってしまったので飼い主の満人たちが奇声を挙げて困っていた。
そのまま帰ってきてしまったが、之も面白かったことのひとつだ。

今日はまた暁頃から強風が出て雨も降り出して来たし演習も休んでいる。
近頃は実際天候不順で満州と言う所の気分を毎日味わっている。
まったく満州と言う所は太陽の恵みの少ないところだ。
日本民族がここに発展すべき宿命を持っているとしたなら。

満州の花を同封して送る。

義朗生

寿子殿
ニックネーム nadeshiko at 15:24| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心−161−170