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2006年08月13日

十二月九日 第三信(*第一 十二月二日、第二 十二月四日) 羽衣70

十二月三日付けのお手紙拝見いたしました。

今日はもう二十一日目になりました。私も今晩はじめて風呂に入ろうと思っています。典子も明日まで産婆さんに来ていただいてあと一緒に風呂に入ります。うまく入れることが出来ますかしら。

四日付けので典子の写真お送りいたしましたが一足違いでお留守のところへ着いたのじゃないかと思っています。

下関で毎日兵隊さんwの見ていましただけに、お湯を使うときなど両手を伸ばし足をたらいに踏ん張って万歳の格好をしたりおしめを換えてやりますときもすぐ右手を袖から抜き出してナチスの敬礼と失敬との合いの子みたいな格好をしてみせます。とても活発な子どもです。

抱っこしてやると両手の中で何度も背伸びしたりあくびしたり忙しいことです。お乳にとりついて眼を半眼にしてうっとりしてるところなど全くあなたを思わせます。

もう私に甘えることを知ってちょっと部屋をはずしたときなど帰ってきた足音を聞いて泣き出すこともございます。何から何まであなたに似て私いっときも典子の傍らを離れることもできません。

今日お母様からも手紙を頂きました。女の子は父に似るそうだから定めしきつい顔してるだろうと書いてございましたよ。お生まれになった時お人形さんのように可愛かったなどちょっとあてにならないようです。

来年二月一杯すると百日経つから三月早々直ぐ上京するようにとおっしゃっていますが行ってよろしうございましょうか。御凱旋の時は下関まで帰ってまたご一緒に上京しましょうか。

この二十一日は三十三日目に当たりますから諏訪神社にお参りして写真を撮るつもりにしています。

昨日下関兵隊隊長あてに追送品として木箱一箱と志方隊本部名宛の(差出人村上名義)包み一箱贈りました。何しろ一人宛一個五貫目までと制限してございますのですぐ超過してしまいます。

今年は糯米(もちごめ)が悪かったとかでお餅の出来が大変悪うございましたけど我慢くださいませ。お餅も大きくしてもすぐ割れたりカビが生えたりしますしほんのお○に小さいのを入れておいてみました。目方を取りましたらお餅だけで一貫八百匁、貝柱が一貫二百匁かあり、あと小瓶や何か入れましたらすぐ五貫匁になりました。数の子の雲丹漬けや鰹の塩辛やあなたや中隊長様のお口には合うと存じますが西島様にはどんなのがよろしうございましたやら。

奈良漬がわりに美味しいようでございましたから、志方隊宛の方に包んでいます。この方は奈良漬、鯛の子、みりん干し(中隊長様へお上げくださいませ)こぶ、するめ、それに小豆をまじないみたいに入れてありますが、箱の関係であれ以上入りませんでした。おしるこなりしておあがりくださいませ。

官舎に五六人でお住まいのこと。そのつもりで量を多くしておきましたから皆様でおあがりくださいませ。ただし奈良漬と鯛の子の味は請合いません。日数がかかりますから駄目になるかも分からないとあやしんでいます。どんなものが皆様のお口に合いましたかお知らせ願います。子の次からそのつもりでお送りいたしますから。

この間(二十九日付)丹前二枚、靴下三足、猿股二枚、帯一本、その他便箋、封筒少々お送りいたしました。シャツ、ズボン下もまだ買ったのがございますが、お入用でしたらすぐ送ります。実際追送品四五貫目といえば随分は入るつもりでしたのにビール箱一箱ですもの。情けないくらいです。

十日までに連隊で集めて二日ごろにはお手に入りますかしら。丁度お正月に間に合うくらいになりますでしょう。

ますますお身体をお大切に、お勤めをお果てになりますよう典子とともにお祈りいたします。

志方様、西島様、塚崎様方にもよろしくお伝えくださいませ。

上京の件につきましてはそのうちお返事くださいませ。

十二月九日

寿子

義郎様
ニックネーム nadeshiko at 00:55| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心− 61−70

2006年08月12日

オリジナルブログ復活のお知らせ

皆様、ごめんなさい。

そしてずーっと読み続けてくれてたのに、nadeshikoがオリジナルブログを閉じてしまったがゆえに、もう羽衣も見てない方々にもごめんなさい。

オリジナルを復活させました。(URLは以前とちょっと違うよ)
http://nadeshiko-blog.269g.net/

ただし、更新が前提に明けたのではないので、更新はそれほどないと思われます。またいつまた閉じるかわかりません。また苦しくなるかもしれないので。

羽衣のブログで説明を書くときに、オリジナルのブログの情報があったほうがわかりやすいのかなと思うときが何回かありましたのでもう一度復活させることにしました。ただし申し訳ないのですが、復活作業をしてる間にうっかり頂いたコメントをすべて削除してしまいました。
ほんとに申し訳ありません。

閉じたり開いたり、こんな揺れ揺れのnadeshikoで本当にごめんなさい。皆様を振り回してばかりで。オリジナルはまた閉じたくなる日がくると思っておいてください。
ニックネーム nadeshiko at 23:44| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心− 61−70

2006年08月12日

休憩 田舎に帰る?

 夏休みですね。皆様はどこにいっちゃったのかな?

 nadeshikoも夏休みなのですが、東京にいます。神戸には月末に帰ることが最近に決定したので、突然いくところなくなっちゃった。それで東京に取り残されています。
 普段できないことをしてゆっくりしたいと思います。

 小さいとき学校で、
「夏休み田舎に帰る人は?」
と先生に聞かれて、
「はーい。」と答えるみんな。

「後の人はどこか旅行に行くのかな?、nadeshikoさんどこいくの?」
「東京。」
「ディズニーランドとかいくのかな?」
「おじいちゃんの家。」
「え、それは田舎に帰るってこと?」
「。。。」

今もってわからないのですけど、確かに祖父母の家に帰る、要するに両親の実家ってことはある意味田舎に帰るってことなのでしょうが、東京に行くって事は都会に行くってことで、nadeshikoは???だったので答えられなかったのです。

 田舎って、地域を指すと同時に精神的な意味も含まれているような気がします。

 
ニックネーム nadeshiko at 19:44| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心− 61−70

2006年08月11日

休憩 思惑どおりに行かないこと

nadeshikoの周囲が急激に変化し、nadeshikoも関わりになりそうです。もう少し後の来年ぐらいになるだろうと思っていましたが、実際はもう少し早くなりそうです。ごめん。何のことかわからないよね。言えないなら書くなってことなんだけど、この義郎寿子夫婦が後に経験する悲しいことになんとなく似てることなので考えちゃうのです。

近親者には親子、兄弟、夫婦と色々な関係があるわけです。でも必ずしも近親者だからといって、お互いがお互いにのぞむようにいかないこと、あるいは考え方をそっくりそのまま同じにするわけには当然のことながらいかないのです。だから例えば「自分の子だからこういう考えでいてくれる。」「親だからわかってくれる。」「夫だから支えてくれる。」「妻だから許してくれる」なんて期待しても、期待どおりにいかないことは沢山ケースがあるわけで珍しいこともないよね。

義郎寿子のケースを今まだ詳しくお話する段階にないですけど、こんなにも幸せな新婚カップルが後に傷つき葛藤するようなことをこの段階で二人は想像もしていなかったのです。
でもnadeshikoは彼らがそういう体験をすることを知っている。

だからこそ羽衣を書きながら最初に言ったように考えてしまうのです。世の中には予想どおりにはいかないことがあるのだなあって。そして今それがnadeshikoの身近に起こっています。

単純に願うのは八方がうまくいってほしいってこと。でもお互いがお互いに信じる道や考え方がありそれを正しいと思って譲れない場合、どうしても傷つけ傷つくことは避けられない。どちらが悪いのでもない。だからこそ切ないですね。
ニックネーム nadeshiko at 01:38| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心− 61−70

2006年08月09日

休憩 おじいちゃんのパイプ

義郎の歌うまいのか下手なのかよくわからないね。多分へただと思う。

nadeshikoは中学校の修学旅行のお土産で義郎に「パイプ」を贈ったことを思い出しました。ちょうどその頃彼のお誕生日だったんだよね。

でも、その後東京のおじいちゃんのところに行ったら、パイプは使われていませんでした。義郎愛用のパイプがあったのでそちらを使ってるんだと言われてnadeshikoが贈ったのは飾られていました。

パイプを吹かしながらガウンを着てソファに座っているおじいちゃん。

そのときはなんとも思わなかったけれど、考えればなんか漫画の「成金」風のイメージじゃありませんか。決して成金ではなかったけれど、当時そういうスタイルが流行ってたのかな。

おじいちゃんのパイプ。

今度おじいちゃんの家に行ったらそれも写真に収めてきますね。喫煙
ニックネーム nadeshiko at 21:55| Comment(6) | 羽衣−あたたかき心− 61−70

2006年08月09日

義郎の歌 羽衣69

寿子へ

毎日床の上で退屈していることと思う。こちらは一人だからなお退屈だ。退屈のあまり出来た歌で、今日は歌便りをする。

ハルピンにて
●香坊(シェンファン)の片側路を我行けば
      黒き大犬吠えかかりけり

●香坊(シェンファン)の市場に集う人々は
      匪賊のごとき眼をば持ちたり

●このあたり匪賊のやから尚ありと
      ききたる町を我一人行く


香坊というのは、スタール・ハルピンすなわち元ハルピンといって、露国がハルピンの市場を建設する前の満人の部落で華やかな市場でもある。ハルピンで我々のいた兵営の近所でハルピン市中から三里の郊外にあり、三・四年前までは匪賊の巣で今なお潜っているものもあるという。

●拳銃の握り冷たしハルピンの
      馬家溝(マージャゴー)あたりそぞろ歩きす。

馬家溝(マージャゴー)というのは沖、横川の忠霊塔もあり郊外の住宅地で物静かな風情のあるところだ。

キタイスカヤにて(中国人街)
●古風なる風琴鳴らし街角に
      物乞いをする露人ありけり

●ウォッカに酔ひして女等
      手を組みて危なげに行く夜の街かな

●華麗なるシャンデリヤこそ照りはえど
      ロスキーダムの酒は苦かり

●飾り窓に氷の華ぞ見事なる
      キタイスカヤも人影まばら

キタイスカヤ・ウーリツアは夕方などは今も殆ど露人でにぎわっているが、どこかやけな亡国の哀愁のこもった空気があふれている。夜が更けていくにしたがって国際都市の悪の影がさまよい出てくるのだ。

●野鶏の客をさそふ声わびしくて
      三道街の夜も更けたり

●モルデンの屋根にかかりし月影の
      赤く大きく見ゆる夜かな

モルデンの大ビルディングはハルピン一のホテル、キャバレー、ダンスホール、カフェを持って色々の噂の絶えぬ建物だ。

移駐に際して
●凍てつきし氷の路をふみしだく
      防寒靴の歩み重いかり

●きき慣れぬ名の町数多通り来て
      夜更けてつきぬこの舎営地に

●舎営地に群がる土地の人々の声は
      小鳥のの囀る(さえずる)に似る

●はるかなる広野の彼方
      白樺の林の影に我が兵舎あり

●赤煉瓦寒々とする官舎街に
      立てる歩哨の銃は凍れり

●馬車(マーチョ)に乗りて広野を我行けば
      きぢの群れ飛ぶ林の彼方に

●馬の背の霜の白さよ
      馬車を走らす御者のひげのつららよ

陣中に我が子の誕生の便りに接して
●見晴るかす空の彼方にある国に
      吾子生まれぬ今日ぞこの日に

●陣中にウォッカ抜きて祝ふなり
      我子生まれぬ今日の佳き日を

●生まれたる子はそのままに我なりと
      その子の母の頼りなりけり

●安からぬ心ぞ秘めて過ごしけり
      この電報の来るその日まで

●君がため召され征きにし
      丈夫の残せし妻を想ふ夜かな

義郎生
ニックネーム nadeshiko at 21:40| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心− 61−70

2006年08月08日

休憩 典子ちゃんはデカイ

 典子が大きかったと寿子は言っていますが、確かに典子おばさんはデカイ。。。

 nadeshikoは身長164センチです。そのnadeshikoと目線がそんなに変わらないことを考えればあの当時の子どもとしては大きいんじゃないかな。○義も△義もでかいし、ちびなのはnadeshikoの母だけですね。

 寿子はとってもちっちゃいです。nadeshikoはかがまないとお話できないくらいなので(もちろん背が曲がってるからっていうのもあるけど)、150センチあるかないかじゃないのかな。
 そんなチビの寿子から、あんなでかい典子ちゃんがでてきたんだから寿子はそりゃさぞかし大変だったことでしょう。

 そういや寿子はnadeshikoのいとこ(寿子の孫)の結婚式にアメリカに単身飛行機で渡ったことがあり(nadeshikoのいとこはアメリカで生まれ育っているのでアメリカ国籍です。また結婚式は義郎の死後でした。単身といっても出発国も到着国でも送り迎えあり。)、その結婚式で背の高いアメリカ男性に囲まれ、"So Cute!"ととってもモテモテだったらしいです。
 
 
ニックネーム nadeshiko at 22:26| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心− 61−70

2006年08月08日

12月3日朝 第2信(十二月2日付より)羽衣68

 今日また二十七日付けのお手紙頂きました。今度は厚うございましたので嬉しうございました。昨二日、典子の写真八枚同封してお送りいたしました。どうしても実物どおりの可愛いところが写らないので悔しうございますけど。

 あなたがお生まれになった当時一貫目以上あったkどうかお人形のようにきれいでしたかそのうちお母様に伺ってみましょう。
 私だって小さいときは相当なものだった自信がございます。それから生まれるまではスローモーでもあとの智恵づきは二倍も三倍も早いようですから。母子の名誉のため真剣に抗議しておきます。

 さっきお昼ごろお春さんが見えました。申し分のないいい赤ちゃんといって誉めて帰りました。

 丹前も二枚二十九日夜発送いたしました。

 昨夜から少しは目が見える気がしますけど、どうでしょうかしら。私の箸の上げ下ろしに連れて目を動かしますし、それに力を得ておもちゃを見せましたらいかにも見えるようです。

 日に幾度となく手を延ばしたりおしめも殆ど一時間おきに代えますがそのたびに足を延ばしたり縮めたりして自分で運動しています。寝せたままお乳をやるときなど乳首に吸い付きがたいと首を持ち上げますし、だっこしてやると背伸びしますし二週間程の赤ん坊とは思えません。

 眠ってる間も何度も微笑んでみたりしかめてみたり突然泣き出したり、目玉の回転運動など典子の表情研究もなかなか忙しそうです。今日は机の上に積み上げていた頂きものをざっと整理してたんすの中に収めたりして午後はまた寝ているところでございます。

 典子もなかなか物持ちでございますよ。東京のおばあさまからは白のベビー服と兎の毛か何かで縁取りした対の袖無、直一伯父様からは白の布地のケープ、直次伯父様からは一つ身の着物と袖無、嘉代伯母様からは可愛い一つ身、その他紬無やベビー服、玉置様からはまたとても可愛いサックコート、東圧の工場長や主任など八人様から立派な反物、昨日は林所長、松本所長、関口、太田、波多さまから反物、その他○二絹やモスや色々頂いています。

 今年の冬はあまり外出もしますましからどれを着せようもございません。今日も片付けながら来春お出迎えの時はどれにしようか、東京へはどれを着せようかと思って逸ってしまいました。何かお土産でくださいますならそのおつもりで少し大きいのをお願いいたします。私のもなんと言っていいもの思いつきませんけど。

 出産につきましては福田様の奥様に一番力になっていただきました。その後典子の着物を文子さんに縫っていただいたりしていますし、よろしかったら文子さんに指輪の玉なりお土産にくださいませんでしょうか。それから母へも何度も手頃のもので結構でございます。

 いつも書き忘れていますが、今度大塚様は工手長におなりになりましたとか島城様から伺いました。書記の近藤様も召集お受けになりましたとか。いづれも奥様方のお話ですから工場のことはよくわかりません。

 建国大学のこともあれから願書をだしましたが何でも受験票が来なかったとか申して参っていました。福岡県だけでも志望者が千人あったそうですから願書の提出が締め切り間際でしたから駄目だったのかもわかりません。私も自分のことで取り紛れあちらからも便りがございませんが多分二○を目指して勉強していることと存じます。

 頂きましたお手紙はまづ十月十四日付け、十六日付、十八日付、絵葉書、二十八日付、葉書、十一月四日付け(写真入り)、電報、十四日付け(写真入り)、十五六日付け、電報、二十三日付、二十六日付け、同じく二十七日付と都合十四回になっています。私のほうからのもみなお手に入っているようでございます。昨二日に差し上げましたのから数えて今日のは第二信でございます。

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四日朝

典子の顔も日増しにませて参ります。
口をしっかり結んで眠ってるところなど赤ん坊離れしています。然し夢中で乳房に吸い付いて安心するとポカンと口を開いたままスヤスヤ眠ってしまって横に寝せるとまた目覚めてびっくりするような声でお乳を求めるところなどなんとも言いようなく可愛いものでございます。夜中も二度も三度もそんなでおしめ代えたりしていますと一度にどうしても一時間半から二時間くらいかかります。一晩に二度も三度も時とすると三時間くらいおしめお乳おしめお乳でやっとふとんを被ってるとまた泣き出すのでまた起きるという風でございます。

 今日は福山先生がまたお寄りくださいましたが脚気も少しづつはよろしい方とのことに○○安心致しました。大体がごく軽いのではございますけど。

 そろそろ宮参り着の○を見ています。やっぱり女の子の着物が赤くてかわゆうございます。産婆さんの話では妊娠中に牛乳や果物類をとっていましたのでこんなに色白できめが細かいのだろうとのことでございます。早く綺麗な着物を着せてヨチヨチ歩かせてみたいと思っています。

 実はすっかり男のこのつもりで報信紙には「待望の男子生る」と書いて宛名もすっかり書き込んでましたので当時はちょとがっかりしましたが、今ではかえって女の子でよかったと思っています。父が大喜びでおじいさん振りを葉発揮しています。朝夕一番にのぞきにきますし、泣き出すと○を解いてシャツの上から抱っこして自分の着物の中に包んだりして部屋の中を歩き回ってあやしています。

 三川の宮子も再々来て姉さんぶりを示します。すっかり家は勿論三川でも福田様でも毎日話題に上って一躍人気者になってしまいました。

 日の経つのが待たれます。

 十二月四日夜

 寿子

 義郎様
ニックネーム nadeshiko at 22:07| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心− 61−70

2006年08月07日

十二月二日正午 羽衣67

 二十六日付のお手紙頂きました。折角待ちくたびれていますのにもっと長く書いてくださいますとよろしゅうございますのに。

 今日はちょうど二週間目になりました。典子は亡くなった母に線がありますのか、母の発病したのが九月十九日、命日が一月二十一日、誕生日が十二月二日ですのに、典子は誕生が十九日、三日目の命名したのが二十一日、宮参りが十二月二十一日、二週間目が丁度今日で母の誕生日という風になっています。きっと母が一生守ってくれるのだろうと思っています。

 もうまつげも眉毛も生え始めました。生まれた当時は薄く、ほんの存在を示すに過ぎませんでしたのに。

 七夜前後から眠っているときや、お乳を頂いた後などでにっこり笑って見せます。一日横に寝せて寝顔を眺めていますが、ちっとも飽きません。可愛さが増すばかりです。

 八日めに撮った写真は一昨日、二十九日の正午過ぎ写したのが今日出来てきますから同封いたします。最初写したのは前の晩一晩おへその痛みで折悪しく機嫌の悪いときでしたから、ちょっと見ると可愛くございませんでしょうが、実物は百倍も千倍もいい顔しています。

 丹前と足袋は二十九日夕発想いたしました。実はつづらに一杯何やかや詰めて、念のため駅に聞き合わせましたら鉄道便は今のところ奉天までしか扱わないとのこと。郵便局では小包は二尺角の一貫六百匁までしか扱わないというものですから私の小さな3斤計りの○○○を持ち出して一つ一つかけては最大限まで詰め込みました。

 今日餅が出来てくるはずですから切って乾かした上、行李になりいれて追送品として送りましょう。五貫目まで扱ってくださるそうです。

 二十九日付の手紙で留守宅俸給のこと申し上げましたが相済みませんでした。今日東京の陸軍経理部から十一月二十九日付で八十九円三十銭也の通知が参りました。大抵二十二日ごろとおききしていましたので一足違いで早まったこと申し上げまして申し訳ございません。以上の始末でございますからご安心くださいませ。

 それから第七十三回の勤業債権(十円券)五枚も今日還付の通知が参りました。ただし割増金なし。三千円の夢は外れてばかりです。

 典子の大便がちょっと悪うございましたので、昨日また小児科の福山先生に診ていただきましたら私の脚気が十日ほど前より少し悪くなっているとのことで昨夜から授乳前にアトロゾンという粉末を湯にといて、二丁瓦づつ程飲ませています。

 お乳はたっぷり寝ている間も流れているくらいありますのに、情けないよう申し訳ないようで泣きたくなります。何しろ産後まるで野菜をとりませんでしたからでしょう。産後の不養生は一番いけないというので青物は乳に悪いとか何とか言って魚類ばかり三度三度、しかも汁に一切、お煮付けに一切、刺身といったようにごたごたつけてありますもの。
 
 今朝まちえ(*女中)に尋ねましたら、鳥のスープを産後二三日目からつけさせていますが、野菜類はひとかけも入れないほんの鳥の骨だけのスープでした。お母さんはなんとも注意して下さらなかったそうです。身体の動かぬ病人と違って、動かせば動けるのにじっと女中まかせにして我慢しているのも辛いものです。でももう二週間経ちましたから大丈夫でしょう。
 お産の翌日から折角半時間か一時間典子が眠っている間にと努力して眠っているところを牛乳をいつもってきましょうか、何はどうしましょうかと言ってまちえが起こしにくるくらい腹の立つことはありませんでした。そのくせ産後は日にちが薬だと同じことを繰り返し言って聞かせるのです。
 お湯一杯酌んでもらうのにも一々ベルを鳴らして女中を呼ばねばならずこりごりしました。今日から食養生をつとめて早く脚気を治そうと思っています。

 典子も生まれて誰に似てるか分かりませんでしたが、だんだんあなたに似てるように思います。あの中学校の制服をお付けになった写真に額際なんかことにそっくりのように思います。宮参り過ぎる頃になったら目も少しはみえるようになりましょう。それよりも赤ん坊に生まれてから五六日くらい目が明かないのかと思っていましたらすぐから目も明けていますし、えくぼまで出来ますのでびっくり致しました。

 典子がお腹から出たときはまるでお観音様脇に書いてある稚児のように美しくてなんだか貴いような気さえ致しました。

 今写真が届きました。目はもっとおおきくパッチリしているんですけど町田の都合が悪く目をあいてから二時間以上してから来ましたので、そろそろ眠くなったところでした。それでも頭なんか大きいでしょう。誰でも宮参りごろのような顔つきをしているといって誉めてくださいます。この次はもっと綺麗なところをお目にかけましょう。東京から写真機も近い中送ってくださるそうでございます。産湯は毎日部屋の西南の隅にござを敷いて使わせています。


 寿子

 十二月二日正午

 義郎様
ニックネーム nadeshiko at 22:26| Comment(3) | 羽衣−あたたかき心− 61−70

2006年08月06日

休憩 どんぞこ

chibidonzoko.jpg 

今日「どんぞこ」DVDを見ました。羽衣43にでてくる話だと思います。

 うーん。どんぞこです。深いです。でも最後はちょっと明るい未来を予想させるような映画です。

 ストーリーは、ギャンブルで国のお金も使い込んじゃって破産し、まったくもって一文無しになる男爵と、父親も「泥棒」で泥棒としての生き方しか学べなかった泥棒とのちょっとした友情。そして泥棒と同じく木賃宿に住む色んな過去をもった住人達。そしてその中で誰にも惜しまれず貧乏の中死んでいく人々。貧乏でその日暮らしで、それでも「夢」みたいなものを希望にして生きている「どんぞこ」の生活。
 そんなどうしようもない絶望感の溢れる生活の中で生まれる愛情。
 「人間」とはこんな状況でも「人間」でい続けなければいけない、あるいは人間らしくいたいという深い深いテーマを、ちょっとコミカルにそしてそのコミカルさが淋しさを誘うような映画です。
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 翌朝には屋敷財産差押えになる男爵の家に泥棒が、泥棒に入りますが。盗むべき物もないので、男爵は最後の夕食とシガレットケース、そして乗馬大会で優勝したときにもらった二頭のブロンズの馬の置物を泥棒にプレゼントします。泥棒と男爵の友情はそこから芽生えます。
 
 一文無しになった男爵は泥棒の住む木賃宿を頼ってそこで暮らし始めます。その宿には、昔俳優を目指していた今はアルコール中毒の「役者」。そして以前は電信局で働いていたために、よく物事を知っている「物知り」。そしてギャンブルに一日中明け暮れる男達が一つ部屋に共同生活をしています。

 木賃宿の年老いた家主と、若い奥さん。この二人は泥棒の持ってきた品を裏で売りさばいて利益を得ています。でもこの若い奥さんは早くこの夫の家主が死んで、泥棒と添い遂げたいと思っています。が、泥棒はそんな打算的な奥さんが嫌で手をだしたことを後悔しています。彼はむしろ奥さんの妹のナターシャという働き者の、ロマンチックな恋を夢見ている清純でまじめな女性を好きなのです。

 ある日警察がこの木賃宿の手入れをすることになりました。警部はナターシャが好きで、そのことを知っている夫婦はナターシャを結婚させる代わりに手入れをやめてくれるよう裏取引をします。ナターシャは気に染まぬ結婚だけれども、恩のある姉夫婦に逆らえません。しょうがなく警部と一緒に食事に行きます。
 それを知った泥棒が腕ずくでナターシャを連れ帰りに行きます。ナターシャは泥棒を職業としている彼が自分を好きだなんてとんでもない、自分は堅気の人と結婚するのよと思いつつ、次第に彼の誠実さにひかれていきます。

 家に帰るとこのことを知った夫婦はナターシャを殴るけるするのです。泥棒はナターシャを助けようと、老家主を殴り、けんかの舞台は表の路上へ。そこに野次馬達がまたよってたかって老家主を殴りつけるので家主は死んでしまいます。
 警察たちが駆けつけます。泥棒を妹に取られた家主の奥さんは、「やったのは泥棒のペペルだ。」といいますが、男爵が「いや、これはけんかだ。彼が犯人になるのなら今ここに居る連中みな犯人だ。」といいます。そして周りの人も「俺も一発殴った。」「俺もけった」など口々に言い出します。「誰がやったのでもない。これは『ドンゾコ』がやったことなんだ。」と老人が静かに言います。

 泥棒のペペルはすぐに釈放され、待っていたナターシャと遠く堅気の生活を夢見て二人で旅に出ます。その二人の楽しそうな様子が映し出され、やがて小さくなりFINとなる、そんな映画です。
 
 うまく要約できませんが、こういう人間臭い映画nadeshiko好きです。昔の映画もいいのが沢山あるよ。

 監督のジャン=ルノワールは、印象派の巨匠 ルノワールの次男だそうです。映画を見ていると、「あれ、これルノワールの絵に似てるな」という風景の構図があったのですが、後でそのことを知って納得しました。なかな手に入りくいかもしれませんが、興味のある方は見てもいい映画だと思います。
ニックネーム nadeshiko at 13:49| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心− 61−70

2006年08月05日

今朝二十三日付のお手紙頂きました。 羽衣66

 今朝二十三日付のお手紙頂きました。
 
 何日も出張でお留守だったので便りがなかったんですのね。十九日の返電も来ないしちょっと心配しました。

 私もその後何のさわりもなくもう三四日前から三時間おきの授乳の時はそっと座っています。ご飯もまだお粥で辛抱していますが明日あたりからは普通のご飯でよさそうです。

 途中で注射を止めていましたので、ごく軽いのですがちょっと脚気がでました。只今毎日エビオスの注射と散薬を頂いています。典子もやはり大きかったせいか、ちっとも手がかかりません。顔立ちも日増しに知恵づいて参りました。

 今日は午前十時前からちょっとすぎまで目を覚ましていましたからまた町田を呼んで撮らせました。二三日して出来てきましたらすぐ送ります。

 はじめの間あんなに○○なさっていましたから、私だけの子にしとうございますのに、○は少ないもので一昨日日野様大塚様の奥様が見えましたら顔立ちはやっぱりあなたによく似てるということになりました。えくぼだけが私ゆづりなそうでございます。体つきは東京のおばあ様そっくりです。

 昨日は島城さま、○○様の奥様が見えました。島城さまでもやはり脚気で粉ミルクを半々に○えていらっしゃいますとか。もう二ヶ月ですが一貫七百匁で標準の四ヶ月分あるそうです。大塚さんとこでは人工栄養なので胃腸を壊しやすく失敗ばかりしているとおっしゃっていました。あちらは誕生当時八百二十匁でしたとか。

 とにかく私たちの典子は今のところ顔立ちも健康状態も十分自慢できる良い子です。うれしくて誰にでもわざわざでも見せたいほどです。今後十分注意して育て初対面の日を心に描いて待っています。これなら東京の兄さん姉さんにも負けない自信があります。

 小包は早速送りました。丹前は多分着丹前だけとは思いましたが、夜具が手薄でしょうと思い二枚送りました。毎月十日までに下関で追送品を十貫目まで扱うそうですからお餅などはそのとき送りましょう。

 それから十月も十一月もまだ留守宅扱いの手当ては何の通知もございませんがお暇の時一度お調べくださいませんでしょうか。決してあてにしているわけではございません。会社の月給だけで十分でございますが、もし手違いのことなんかありましたらつまりませんから。
 十月は三度か郵便局まで行って確かめましたが分かりませんでした。また書きます。

 寿子

 義郎様

 十一月二十九日 夕
ニックネーム nadeshiko at 22:46| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心− 61−70

2006年08月05日

十一月二十八日 お父様へ 典子より 羽衣65

 お父様

 お寒いところでお元気にお過ごしでしょうか。
 典子は今日で丁度十日めになりました。お父様もお留守なので大変おとなしくしています。

 まだ昼間のほうがよくやすんで夜は一時間半おきくらいに目を覚まして泣きますので母さんはじめ、みんな大こぼしです。しかし昼おきて夜覚めようが典子の勝手ですのに。母さんたら昼間の退屈で夜は眠いもんですから一寸眠っていると顔のあちこちにペタペタキッスしたりほっぺたを撫でまわしたり、それから鼻をつまらせているといい気になって紙こよりを突っ込んだりしています。

 それでも典子は目を覚まさないで知らぬ顔して寝ています。

 おへそは大抵四五日でとれるそうですが、典子は八日めにまる七日かかってとれました。それで七夜の晩は痛くて半時間おきくらいに泣いてやりました。

 二三日前から笑います。何の意味もなくちょっと口先で笑うだけですのに、母さんはそのたびにお父さんにお目にかけたいと言って泣いています。変です。

 おっぱいも母さんが座って飲ませてもらっています。片方吸ってみるともう片方はたらたらこばれていますので、母さんはいつも手ぬぐいをあてています。沢山でほんとにおいしうございます。

 一昨日町田写真屋が来てお湯を使っているところを四五枚撮りました。でも前の晩おへそが痛んで眠れませんでしたので、お湯を使う間もとうとう目を覚ましませんでしたので、また機嫌のいいとき写しましょうと言って帰りました。昨日の朝は九時ごろ覚めていましたのに朝は寒いからといってとうとう駄目。今朝も十時ごろ覚めましたがあいにく町田が○らすで駄目。明日あたりいいところを撮ってもらって写真でお父様にお目にかかります。

 お祝いもたくさん頂きました。東京からもおばあさん、直一伯父様、直次伯父様、長谷川の伯母様からいいものを頂きました。お父様がお帰りになりますまで大事に着ます。まだ目も見えないのに天井からおもちゃをつるしてあります。みんなどうしてこうせっかちでしょう。

 お父様もお丈夫でお働きくださいませ。

 さよなら
ニックネーム nadeshiko at 22:19| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心− 61−70

2006年08月04日

母から 羽衣64

 東京もなかなか寒くなりまして今日初氷が張りました。

 十九日に寿子出産女子出生の由、母子とも元気の由喜んでいます。名前は出来ているし安心しています。お前様もお父様になりさぞうれしいと思います。東京の方はほうぼうへ早速に知らせました。皆祝いものが行きました。

 子どもの育ちはとても早く半年もたてば何か言うし、おもしろくなります。○前○○○○も可愛くなっています。写真は一月くらいたたねば目をあいてよくとれぬでしょう。写真機は早速五郎が送るはずですからご安心ください。

 何にしても向寒の折体に気をつけてください。皆日曜ですから五郎と六郎と小包一箱をお前様の方へ送りました。昨月三十一日長谷川から送ったもの届きましたか。

 義郎殿

 母より
ニックネーム nadeshiko at 21:32| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心− 61−70

2006年08月04日

六郎からの手紙  羽衣63

 お手紙拝見しました。

 兄さんをはじめ、兵隊さんがたお元気で安心です。
 二日前菓子と下着少々をお送りしました。雪の降って教練のない日には皆様方と南京豆を齧って将棋を指してください。

 このたび兄さんはお父さんとなられておめでとうございます。写真機を至急大牟田へ返しますから、じきに兄さんの所に元気な赤ちゃんの写真がとどくでしょう。
 
 東京は今日まで防空演習がありました。今度の防空演習にはお祭り騒ぎの防護団は少しも姿を見せず、夜ともなれば市内は暗黒に閉ざされてしまいます。それでも大抵の商家は営業をしていますし、私の夜学校も授業を休みませんでした。市民は真剣です。

 東京は二十キロ離れると空から見えぬそうです。それでも銀座や新宿は夜店がでて、絶えざる人の流れはいつ○きそうにも思われません。
 今東京の街は日独伊三国の国旗で彩られ、ラジオや蓄音機からしばしばナチ讃歌やファシストの「ジョビネッツア」が聞こえてきます。

 東京は朝秋晴れのよい天気だと思うと夕方には散りきって枯葉の一つ、二つ残っている街路樹のこずえを雨がしきりとぬらしています。

 お濠をわたる風はすっかり寒くなりました。鴨が群れています。五郎兄さんは乗馬を練習しています。こちらは皆元気です。この間生まれた大塚の君子ちゃんも、姉さんも元気で兄さんのご奮闘を祈っております。ハルピンはとても寒いのだそうですね。凍傷にならぬように気をつけてください。

 暮れはボーナスをもらったら、兄さんや兵隊さんがたにお年玉をあげたいと思います。さて何がよいかわかりません。そちらでは内地の新聞や雑誌は手に入りますか。日用品や食べ物なぞで入用なものはありませんか。何卒ご一報ください。皆々様へよろしく。

 敬具

十一月二十三日

 母
 五郎
 六郎

兄上様
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2006年08月04日

休憩 猫派?犬派?

 今週nadeshikoはぼろぼろでございます。

 今日も足腰立たずお休みを頂きました。でも手は動くので暇だからブログさせていただいています。
 
 nadeshikoの年上の女性のお友達は、「あんたが一番年寄りだ」「若年性更年期だ」「体は70歳」といいたい放題ですが、確かに。。。運動不足もあるだろうけど、このnadeshikoのぽんこつ加減は一体なんなの?
 壊れていく自分に、最近さじを投げています。しかも表向きはちょー元気に見えるのがまた。。。嘘じゃないのよー。(上司に向けて)ほんとに歩けませーん。来週には回復するだろうけど。

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 おじいちゃんちではクロという犬を飼っていました。歴代クロという名前になるようです。三匹ぐらい代々クロがいたような気がします。おじいちゃんが餌をやってましたね。
「待て」
 ずーっと待たせてましたね。よだれがたらーんと流れても、面白がってかなり酷な待たせ方してました。義郎って。。。
 
 自分を犬か猫かどちらかに例えると、nadeshikoは自分で犬だと思い込んでいました。つい最近まで。

 しかし、ふと「いや、猫だなあ。」と思いなおしています。長続きするのは犬タイプの男性なので、犬が好きだし自分も犬だとおもってたのですけど、自分自身は猫ですね。

 まず、家にじっとしていることができないです。首輪???はー、なにそれ?ふん!って感じの猫です。独りで気ままにあっちこっち行って、テリトリー増やして遊んでる感じ。わんこみたいに、一日中お散歩の時間を待ってるなんて考えられない!
 で、自分がさびしい時だけごろにゃんごろにゃんすりより、自分がめんどくさいときは、相手がかまってきてもしらんぷり。たまにお愛想でしっぽだけ遊んであげるわ。あー、あたしって優しい。っていうわがままぶり。
 ご飯も、「おなかすいたー。おなかすいたー。」ごろごろ。でも満腹した後はかまってきても「お腹一杯なのよ。お昼ねするのよ。かまわないでよ。」ってな感じ。
 わんこみたく、ご主人様に絶対忠誠なんて高貴なこともできないですね。「いいわよ。こっちいくから。」って非常にあっさり変わり身も早いし。

 似てるかも。。。猫の気持ちわかるなあー!でも最初に書いたように、好きなのはわんこみたいな男性です。上に書いたような気まま猫が帰ってくると、わんこが「あー!帰ってきた帰ってきた!あそぼー、あそぼー!」と全身で喜びを表現してくれると、気まま猫は「馬鹿だなあ。このわんこ。」って思いつつ、ちょっと嬉しかったりするのです。 相手が同じく気まま猫だとだめですね。
 
 あなたは犬派?犬猫派?猫 目
 
ニックネーム nadeshiko at 09:16| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心− 61−70

2006年08月02日

西部戦線異常なし

 義郎が出征したこの年は昭和12年は1938年。西部戦線異常なしという第一次世界大戦をテーマにした有名な映画の製作は1930年。ちょうど時期がかぶっています。羽衣62で、義郎が「東部国境異常なしである」と書いていますが、nadeshikoが察するにこの映画をもじっていると思われます。

 義郎は西部劇や映画が大好きだったので、小さい頃東京へ行くとテレビではいつも西部劇をやってました。DR.keiに教えてもらったところによると、羽衣43ででてきた「ドンゾコ」というのは映画のようで、監督ジャン・ルノワール 主演:ジャン・ギャバンという顔ぶれのフランス映画です。(1936年)nadeshikoはこの「ドンゾコ」DVDを買いましたので見たらまた感想をUPするね!楽しみです。

 nadeshikoは古い映画も大好きなのです。
ニックネーム nadeshiko at 18:22| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心− 61−70

2006年08月02日

二十二日付けの手紙、今着いて読んだ。 羽衣62

 二十二日付けの手紙、今着いて読んだ。暫くは手紙もかけないと覚悟していたところへ本人からの詳報で誠に嬉しかった。けれども産後の十日間がもっとも大切な時季であると言うことを忘れないように。

 大きな赤ん坊で本当に骨が折れたことだろうと察している。
 僕の子であるなら僕にそっくり似るから、人形のように可愛らしいということも、一貫匁近くあるということも当然である。僕は生まれたときに一貫匁以上あったものだ。人形のように可愛らしかったものだ。

 そんなに僕に似てるところばかりでは寿子に似るところがないと思って良く読んだが二つだけ発見した。一つはえくぼが可愛らしいということ。もう一つはこれは重大な要素だが、スローモーであるという点だ。自分の産まれる予定日を延ばすこと三週間というのは寿子のスローモーに似てまた至極れりというべしだ。しかし大笑いだ。

 寝かす姿勢に気をつけて頭の格好を悪くしないように。種痘は太ももにすること。以上注意事項終わり。

 来月上旬にこれは絶対秘密だが、多分奉天に出張することになると思う。ちょっとした事務的の仕事だが、これを終えると僕の国家への具体的のご奉公も完了するのではないかと思う。そうして後は来年春の凱旋まで呑気に冬篭りも続ける予定となる。出来たら荒木さんも訪ねるつもりだ。
 お土産に欲しいものがあったら今のうちに考えて申し込んでくること。褒美に何でも買ってやろう。赤ん坊の毛皮の外套なんか可愛らしいのが沢山あるよ。

 それから皆さんのお世話には素直に感謝して何分全員が初めての経験なのだからあるいは不満もあるだろうけれど、神経をとがらしてはいけない。赤ん坊のことも自分はのんきにしていてよろしい。自分から指図するようにしては返ってうまくいかぬものだ。

 僕なんかも実際言うと不便不満なことが多いのだが標準を一桁下に置いて兵隊達を導いてきたので今では兵たちも見違えるように立派になったし、僕に対しては小隊長殿小隊長殿と当直の時なんかも慈父のように群がってくるというものだ。何か手に入ればすぐ御初穏をもってくる。こうなると占めたものだ。親が素直にしていないと赤ん坊がひねくれるよ。しかし僕にならいくら甘ったれてもよろしい。僕がいないので赤ん坊も腹いっぱいお乳が飲めることだろう。

 三川の伯母さんにも色々お世話になって申し訳ないがよろしく御礼を申し上げてください。

 近頃の大牟田の形成いかが。
 会社のほうの連中からは最近便りがないのでどんな具合かわからないが、吉永君が負傷したとのことだが誠に気の毒。もし僕が工場に残っていたら当然僕の受け持ちの装置だから僕がやられたことだろう。思えば運の強いことだと考えている。

 前々々便で写真を封入して出した手紙は届いたかしら。こちらから出す手紙はどうかすると不時着するのがあるからこれから第何信と番号を入れて出す。そちらからも番号を入れてもらいたい。それでこれまでに何通そちらへ手紙が行ってるか、次の手紙で知らせて欲しい。どうも軍事郵便というのは只ではあるけれど不確実だ。

 寿子のほうへの手紙を書くのが忙しくて阿父さんの方へはついご無沙汰になってしまうのだがこれも不悪寿子から申し上げてもらいたい。大体は公開しても差し支えないのだけれど、また寿子が頑張っているのだろうと微笑ましく思っている。

 新京の建国大学の件は伝手を廻して調査しているのだがまだ判明しない。当方の兵隊関係では残念ながら知ってる人は一人もいない。

 満州では治外法権が来月から無くなるので、一般の人々は大変不安にかんじているようだ。満人共が威張りだすだろうというので。
 実際我々が見ても尚早のような気もするが、しかし忠勇な日本国民の血によって得た満州で一部内地の食詰者たちが狡猾なことばかりは出来なくなったというのも一議あることかもしれない。

 話が大分硬くなったからこの辺で止めるが、依然東部国境異常なしである。もう午後十時だが今晩もいい夢を見るように。

 赤ん坊をしっかり自分のものにしてやきもきしている様子が目に見えるようだ。玩具じゃないからいじりこわさないように。

 十一月二十七日

 From Your's To My Kartia(*Kartiaの意味不明)
ニックネーム nadeshiko at 18:01| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心− 61−70

2006年08月02日

航空機の手紙二十五日に着いた。 羽衣61

 航空機の手紙二十五日に着いた。不便なところだからちょっと狂うと並通郵便と同じになってします。

 随分と寿子も待ちくたびれたことだろうと思うが、今頃は役目を果たして安心してぐったりと寝ていることだろう。しかし今日あたりは一週間目だからそろそろ起き出しているかな。まだまだ動き出さぬほうがよろしい。赤ん坊の写真もまだ後でいいよ。

 昨日俸給日でこちらへ来てから初めて月給をもらったが、色々引かれているので二十円ばかりしか手に入らなかった。来月から少したくわえることになる。

 中隊長からお祝いに金五円也頂戴した。早速僕の小遣いにする予定。何かそのお返しをしたいと思うが、こちらではつまらぬし、大牟田からは今は都合が悪かろうから東京の母さんのほうに頼んで何か送ってもらうことにした。

 松花江もすっかり凍り付いて氷上スポーツだとか色々面白いこともあるようだが、こちらは何にせよ退屈な冬ごもり。別に何もしていないから安心してくれ。近いうちに鉄砲猟でも始めようかと思っている。

 近所に阿什河(アシーホー)という満州には珍しい綺麗な水の相当の河があるが、もうすっかり凍って、人でも車でも自由に通っている。氷の厚さは五寸位だ。普通の地面は既に地下四尺くらいまでは凍ってしまったので電話のアースがとれなくて困っている。

 先日ハルピンに行くのに三等車に乗ってみたが、満人ばかりでその臭いのには呆れ返った。帰りは切符なしで大威張りで一等寝台に乗ってきたが軍服を着ている限り、満州では威張っているほど大切にされるから不思議なものだ。

 こちらへ着ても当分のうち、下士官以下は外出禁止なので兵隊達は弱っているが、外出させたところで今のところ何の設備もないので何をしでかすかわからないからだ。こんなことを言っても寿子には判らないだろうが。実際将校になっていて良かったと思う。

 日直将校のために八日めに一度宿直するのだが、その中には兵達は非常に喜んで小隊長殿、小隊長殿といっては僕のところへ集まってくる。内地から届いた慰問袋の中から何か持ってきてくれるので全く気の毒になるくらいだ。けれどもお陰で食物には不自由しない。
 皆さんによろしく。

 義郎

 寿子

 二伸 手紙は公開してよろしい。二通宛書くわけにはゆかぬから。
ニックネーム nadeshiko at 17:34| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心− 61−70

2006年08月01日

休憩 炭坑節

 新潟出張から日曜に帰り、昨日はお友達にPCを教えに行ったら、ダウンしてしまいました。友達のうちから1時間で帰れるはずの道のりを、2時間かけて帰ってきました。思考能力ゼロで途中途中ぼんやり佇んで時間が10分も経ってたとか、かなり危ない人に成り果てていました。(ちなみにお酒を飲んでたわけではありません。単純に疲れてたみたい。)

 今日は出張の代休二日目でしたので、気がついたらお昼まで寝てしまいました。この後横浜花火大会の約束をしているんだけど、正直行きたくないよ〜。でも当日ぶっちするわけにもいかないし、用意するかー。。。

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花火といえば祭り。

祭りといえば盆踊り。

nadeshikoんちの近くでも、盆踊りがあったようで大音響で祭りの音が聞こえてきました。その中でも、「あ、なつかい。」と思ったのが炭坑節。「月がでたでた、月がでた。」です。知ってるよね?
あれは、三池炭坑節といい、寿子がいた大牟田の三池炭鉱というところからできた歌です。

1 月が出た出た 月が出た(ヨイヨイ)
 三池炭坑の 上に出た
 あまり煙突が 高いので
 さぞやお月さん けむたかろ(サノヨイヨイ)

2 あなたがその気で 云うのなら(ヨイヨイ)
 思い切ります 別れます
 もとの娘の 十八に
 返してくれたら 別れます(サノヨイヨイ)

3 一山 二山 三山 越え(ヨイヨイ)
 奥に咲いたる 八重つばき
 なんぼ色よく 咲いたとて
 サマちゃんが通わにゃ 仇の花(サノヨイヨイ)

4 晴れて添う日が 来るまでは(ヨイヨイ)
 心一つ 身は二つ
 離れ離れの 切なさに
 夢でサマちゃんと 語りたい(サノヨイヨイ)

 神戸いた頃も、これがかかるとnadeshikoの母が「懐かしい」と言っていました。今改めて歌詞を見ると、大人のお座敷歌なのですね。

 サマちゃん。名前の漢字はどんなだろうな。
 
ニックネーム nadeshiko at 16:27| Comment(0) | 羽衣−あたたかき心− 61−70